2018年10月9日火曜日

不思議、不思議、不思議、世界は不思議な場所。いろいろ起きているように見えて、何も起きていない。私の手もとに残っているもの?私のての中には何もない。

「力」ってなに?

 ニーチェは力への意思こそが大事だと思っていたみたいだけど、彼自身は森の中に逃げ込んで、孤独と絶望の中で、狂気の波にさらわれて行った。デカルトは「我考えるゆえに我あり」と言ったけど、私はずっと「私は感じる。だから私は存在する。」と心の中で唱えてる。私は感じる。私がいると感じる。そしてあなたがいることも感じる。

 だけど、「私」も「あなた」も簡単に消えてしまう存在でもある。あなたはいるようでいないし、私もいるようでいない。「いる」ということはそんなに簡単なことではない。
私たちの多くは呼吸を止めることを選ぶ。呼吸を止めて、自分自身であることを忘れて、まるで他人のように生きる。本当に感じてはいないことを言って生きている人はとても多い。そして自分が嘘をついていることにほとんどの人間は気がついてない。

 感情という波に逆らって、他者の目線でみた「価値」になることに一生を注ぐ人はとても多い。言葉は意味を失う。死骸のような言葉がたくさん、本の中にも美術館の中にもほこらしげに飾られている。それが表彰されたりもする。自分の言いたいことではなく他者が言って欲しいことをいうことを選んだことと引き換えに、賞状を与えるという制度。なんたる茶番。

 唯一の反逆は、思考を止めないことだ。自分自身で考えて、自分で世界を愛する方法を考えることだ。「絶望は愚か者の結論」そう、絶望こそが、「嘘を望むすべて」の大バカものたちが、私たちに親切にも与えてくれる唯一の道なのだ。「僕たちのいうことを聞かなかったから」「あなたは」「孤独の中で」「絶望しながら」「死んでいくんだよ。」
 それを世間は「教訓」と呼ぶ。

 だから私は反抗することをやめない。笑いながら世界を愛す。キュニコス学派のディオゲネスが一番好きな哲学者だもの。私は犬のように生きれればそれでいい。日向ぼっこが一番楽しい生き物として、表彰状もトロフィーもかざらずに、別段何も自慢することはなく、それでも世界が大好きでしっぽがゆれてしまう、犬みたいに生きてやる。
 

0 件のコメント:

コメントを投稿