2018年9月25日火曜日

 まるで水脈を見つけたような気持ち。ずっと世界を散歩して、これでもない、あれでもない、私が知りたいのはー。そう、そうやって一つ一つの断片を手にとっては捨て、手にとっては捨て、本当に私のハートをつかむ言葉を探して街を歩いてきた。

 美術は好きだけど、美術館の中にいると疎外感を感じる。私の居場所はここではないみたい。「自己表現をしたいなら、美術館にいけば?」そう言われることに私は抵抗を感じる。それは自由ではない。

 チョークできれいに線をひいたある特殊な世界。その領域でなら「自己表現」なんてよくわからないことをすることを「許してあげる。」その領域に入って、私はまるで捉えられた野生の動物のように自分の曲芸を見せる。人々は拍手をする。そこに私は「解放」を感じない。

 本当の解放を「自己表現」を日常生活で行うことだと私は思う。私が私であることを許されるのは美術館だけ、というルールを肯定する側に回りたくない。私は私であることを「許可していただく」必要はないのだ。私が私として呼吸をして、私として食事をして、私として日常会話をして、私としてあなたの目を見つめ、私として眠りにつく。
 アリストテレスは女性を「不完全な性」と定義したけれど、私は私をそもそも「完全」だと思ってはいない。私は私の不完全性をよく理解しているつもり。そしてそれができることを誇りに思ってる。私は私が不完全な存在であることを否定するために生きるつもりはない。アリストテレスの学問が不完全なのは、彼が自分自身の考えが、完全だと勘違いしているからだ。そこに誤りの可能性があることを彼は認めようとはしない。だけど彼が間違っていたことはガリレオが証明してくれた。アリストテレスは自分のことを完全な性だと勘違いしてしまったことに問題がある。ようするに彼が女性嫌悪の根拠としたことは、彼の学問の弱点でもあったといえる。


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