2018年8月21日火曜日

自分自身の目で何が起きているのか、正確に見極めようとしてみると、言葉をどのように取捨選択したらいいのかが少しは見えてくる。

権威は自分たちに似ているもののみを愛する。だからその権威に好かれようとする一番の方法は権威に似た考えを持つことだ。「力」はそうやって人の思考をたくみに操作する。
「私の価値を否定するものは」「愛に値しない」ことをルールにする。そうするとみなが
「愛」を求めてその価値を肯定する。

そうやって操作されている個人の口から出てくる言葉は権威の香りがする。ゾンビにかまれてすっかり生気を失った言葉。「それで生きてるつもりなの?」私はくすくす笑う。「権威にたっぷり可愛がられて、人生楽しめばいいんじゃない?」

 自分が操作されていることにすら気づかない人たちが多すぎる。

彼女たちは決まって私の不幸を望んでいる顔をする。「どうかあの女が不幸になりますように」その祈りは私のもとにもきちんと届く。「あんな生き方をすれば孤独になって不幸になるのは目に見えている。」「後悔しながら老いていけばいいのよ。みじめな人生」

王様に寵愛されてる女たちが、いつまでたっても乞食のまま日向ぼっこをする私を憎むなんておかしな話。でもきっと彼女たちは自分たちが不幸であることを見透かされたことが許せないんだろう、と私は思う。「こんなはずじゃなかったのに」「いつのまにか」「いちばん軽蔑していたような女に」「なっていた」

 アニエスヴァルダは映画「ヴァガボンド」で自由に生きる旅人が最後残酷ともいえる死に方をする様子を描いた。そういう警告音をならす人はとても多い。ジャンヌダルクは火刑に処せられた。シモーヌヴェイユは、拒食症に倒れた。私の好きな女性作家は火事にあい体におおやけどをおった。メアリウルストンクラフトは、出産で死去した。
「女性が真実を探求すれば死刑に処せられる」

 でもこれは彼女たちの「死」に注目するから感じられることだ。人はみな、死ぬ。真実を探求しなかった女性たちもみな死は迎える。どう死ぬかを選ぶことはできなくてもどう生きるかを選ぶことはできる。だったら、どう死ぬのかは神様におまかせして、私はどう生きるかだけを考えて生きる。

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