2018年8月12日日曜日

ちょっとしたことで、すぐに廃人のようになってしまう。少しずつたてなおすのが早くはなっている、と思う。姉と話すと、気持ちがすぐに前を向く。

3・11の時もそうだった。こころが沈みそうなのに、姉と話すと自然とこころが浮上して「正常値」の戻っていく。おちゃらけるのが何よりも好きな私にすぐに戻って。私は笑いながら自分が普段考えていることを冗談をまじえて話す。
「カエルはね、止まったものは見えないんだって。動いているものはとらえられるけど、とまった瞬間それはカエルの世界からは消えてしまう。」そういうことって私たちにも起きてるんだとおもう。私に目にうつる世界と、他の人の目にうつる世界には隔たりがある。その隔たりをなくしていくために私たちは「言葉」というものを発明した。

職場の人たちとの会話も大切にしてる。スタジオの掃除をしながら、カメラマンの先輩たちとたわいもない話をする。ここのお店の人たちが「あたりまえのように」していること。その一つ一つに私はとても共感する。気持ちを込めて仕事をして、しっかりと形にして、しかもそれを「当然のこと」だと思ってる。

 その人の言葉を耳にしたときの身体の反応で私は自分の気持ちを理解する。形骸化された字面だけの言葉は飲み込まない。飲み込んだとしてもすぐに吐き出す。形は簡素でも、
そこに気持ちがこもっていると食いしん坊の私が現れて、それをおいしくたいらげる。

 先代の言葉が私は大好きだった。お昼時間いつまでも二人で話していられると思った。
今のスタジオの人たちの言葉も好き。ぶっきらぼうなカメラマンさんはびっくりするほど等身大で、言葉にまったく嘘がない。頭にうかんだ言葉をそのまんま差し出してるのがよくわかる。だけどそうかと思えば、躊躇する言葉もあるらしい。そういう言葉が身体にたまるとなかなか寝つきが悪くなるみたい。

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