2018年7月7日土曜日

 私の頭の中には土でできてると感じる。土が求めていることを教えてあげると言葉の形状が変わっていく。だから土に教えてあげる、「世界はこんな場所」。コンクリで固められて呼吸ができなくなっていたところ、コンクリを自力で叩き割って呼吸をすることを教えてあげる感じ。
 
 朝起きて、鏡を見つめる。シーツのよれ目がしっかり顔にプリントされていて、笑ってしまう。女性は年をとればとるほど、「価値とみなされる」ことは少なくなっていくらしい。そう思って中年の女性を見つめていると、不思議な気持ちになる。物語は終焉を迎えているけど、そのあとにページがまだ残される。誰も見つめたがらない物語。

 「おしまいおしまい」と本を誰もが閉じたがるのに、ページはまだ白紙のまま残されている。その白紙を人々は何でうめつくすのだろう。と私は思う。家族はそれでも自分を見つめてくれる。だから女性は結婚しないと不安になるのかもしれない。家族に対する思いでそのページを埋め尽くせば、虚無感に襲われずに生きていける。

  There is nothing like a love affair to fill in ones own vanity

 あるいは仕事への思いでページを埋める女性もいる。彼女たちは自分たちにはそれでも価値があると信じて言葉を埋め込んでいく。自動的に無価値へ向かわされるベルトコンベアーに逆らうように。

 誰も読むことのないページに何を書き込むか、
 私は信じられないことを書き込んでしまおうなんて思う。信じられないようなこと。注目されないなら、誰にも見つめられないなら、いっそ誰よりも自由になれるんじゃないかという気持ちになる。自由が好きな私だから、視線が集まらない場所で好きに踊っていいと言われたら一番したい方法で踊れる気がする。怖いのは視線の集まる場所で自分を規制してしまうこと。だから中年女性は一番自由に振舞ってよい気がする。

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