2018年7月19日木曜日

外は相変わらず、とても暑い。「夏」というよりは熱気の中を歩く感じで、爽快感がない。
姪が義兄と夏休みに帰郷しているから、姉はしばらく独り身らしい。姉と話すときは冗談ばかりが口から出てくる。お酒が入ると自由な魂に歯止めがきかなくなり、おかしなことが必ず起きる。

姉と少し話したあと、彫刻家の言葉を引用してそのおかしさに二人で笑う。
えらい人の言葉を引用してもっともらしい論文を書くのはとても苦手だけど、
彫刻家の言葉を引用して大笑いするのは得意。

お昼はいつもの中華屋さん。着席すると「こっちの方が涼しいよ。」と向かいの席へ誘導される。550円で大好きな辛口チャンポンを食べられて一人なのに「ウマ」とつぶやく。暑いのに、辛いものを食べたので汗がますます止まらなくなる。

お腹いっぱいでご機嫌になって、近くのファーストフード屋さんで常連さんがくれたコーヒーチケットでアイスカフェラテを頼み、苦手な「論文」の続きを書く。

スーザンソンタグやウォルターベンヤミンの写真論を読んで「論じる」ということの危険性を感じたのを思い出す。「わかっていない」ことは言及されることはない。もしそれを「わかっていたなら」彼らは写真論をかかずに写真をとるはずだから。

だから「論じる」側は、自分たちには必然的に「わかっていないことがある」ことを認めないといけないと私は思う。論文を書くときに抵抗を感じるのはそれがないふりをすることが嫌いだからだと思う。私が感じることはすべてではない。私は「わからないもの」が好きだから、芸術が好きなのだと思う。

なくていい  アラン・ボスケ

ゾウの鼻は ピスタチオを拾い上げるためのもの
身を屈めなくていい
キリンの首は お星さまを食べるため 飛ばなくていい
カメレオンの肌は 緑 青 紫 白
動物から身を隠すため 逃げなくていい
詩人の詩はすべてを語るためのもの
数えきれないほどの事を 分からなくていい

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