2018年7月17日火曜日

 天気は晴れ。強い日差しが窓から入ってきて、うっすらと汗を書きながら目をさます。扇風機だけでは到底戦えず、エアコンをつける。近くのふとん屋さんで買ったうすいガーゼのような花模様の布をベッドにかける。母からもらったカーテンとよくあっていて部屋にすっと馴染んでくれる。

 哲学の言葉は私の身体に浸透しにくいみたい。なんど聞いても混乱するばかり。
 「自由とは警察に服従することである。」というヘーゲルの言葉を耳に入れて、自分の信じることを固定するために言葉を操作すると、非論理よりもとんでもない言葉が生み出される、と感じる。

 「フェミニズムの歴史」を読んでる。アマゾンで1円で販売していた本。白い表紙の真ん中にタイトルが印刷されていて、真ん中には小さなイラストが判のように押されてる。まず装丁が好き。フェミニズムについての本がほとんど苦手で困っていたけれど、この本の言葉はすっと胸に入ってくる。
 
 アリストテレスやルソーの女性に対する見解が断片的に紹介されていて、くすくす笑ってしまう。なぜ笑うかというと、「予想が的中しているから」彼らは自ら心のうちにある不安を消し去るために、女性の可能性を踏み潰して歩く。「そんなものあるはずがない。」と言い聞かせれば、それを見つめないですむ。「解せないもの」を目の前にしたときの不安を回避するために、その扉に鍵をしめていく。「決してそのようなことが起きませんように」

  論理ですべてを分解して「理解したふり」をしたがる人間は、目の前の一人の人間が発する言葉を理解できない時、「その人が間違ったことを言っている。」と否定して安心しようとする。ガリレオを異端審問にかけた連中も、ソクラテスを処刑した人間も、結局自分たちを改めることよりも、「正しいことをいう人」を「沈黙させる」ことで問題を解決しようとした。

 それは多くの人間がもつ衝動だから、アリストテレスやルソーが特別悪人であったわけではないと思う。ただ、彼らは自分たちが考えているよりも幾分か凡庸だっただけ。それだけのことだから私はくすくす笑ってしまう。


0 件のコメント:

コメントを投稿