2018年6月19日火曜日

 



 ワイドショーで紹介されていたDapumpのUSAを見る。イッサがなんとなく全体的に小さくなったような気がする。

 価値とみなしたものから養分をたくさん吸い取ってそれがなくなったらポイと捨ててしまう、寄生虫のようなこころの動きが私たちの中にはある。一度価値とみなされた人はその価値を保ち続けないといけなくなる。寄生してくる人々のお腹を満たしてあげないといけないから。それは大変なことだと思う。もしかしてだからイッサは一回り小さくなったのかななんてでたらめなことを考える。

 彼がそういう浮き沈みの中でもひそやかに活動を続けていたんだと思うと感心してしまう。私は愛していない人間に寄生されたら体を毒で満たしてしまう。言葉が苦くなり、二度と食べたくないと思うような代物を差し出して「これでよければどうぞ」と言い放ちたくなる。芸能人は大変なお仕事。

 ワタナベナオミの化粧動画を見ていて私も化粧が好きだということに気がついた。綺麗になりたい、という願望が強いからというより、自分が変わっていく感じを見るのが好きなのだと思う。「である自分」と「になる自分」老化を恐れてあれこれやる感じは好きじゃないけど、今の自分を演出する感覚はとても好き

 きゃわいい女の子たちがTiktokにきゃわいい自分をあげて、コメントに「可愛すぎる」と書かれて喜んでいる様子をみて、娘だったらと考えてしまう。ごんとげんこつ。「目を覚ましなさい。あっという間にばばぁになるのよ」と。ま、ババァに言われても聞かないだろうけど。
 友人が四十肩になったよババーだ。とメールをしてきたので、「私も小学生と遊んでて転んでけがしたよ。」と書いた後にこれはババアエピソードではなく、ガキエピソードだと気がついた。ババァになっても、大人になれるわけではない。ということ。

0 件のコメント:

コメントを投稿