2018年6月5日火曜日

  外はだいぶ暑くなってきた。午前中は部屋にいるだけで少し汗をかいてしまう。窓をあけると網戸をつけていても蚊が入ってくる。昼ごはんはサラダと納豆とご飯。夜ご飯はチキンとたまねぎと、サラダと、きゅうり。キュウリに味噌とマヨネーズをつけると美味しい。
 
 自分が知りたいことはなんなのかを整理しようとする。

 彫刻家と昨日話して何かに納得したような気がする。私は意味で世界を分解するような学者たちの姿勢に違和感を感じているのだと思う。アニエスヴァルダが自分の映画の中に登場するひまわりの意味を質問されて「私はひまわりを精神分析するようなことはしない」と答えたらしい。私にはその気持ちがよくわかる。私も大好きな犬を精神分析したりはしない。意味で世界を分解する人たちはきっと理解できないことがあるということを許すことができないのだと思う。「うぬぼれの強いひと」と私は思う。

 ヴォルターベンヤミンの写真論もスーザンソンタグの写真論も私はあまり好きになれなかった。「論じることができなこと」なのだから、写真をとるのだということに対する敬意をもっと持つべきなのじゃないかと感じてしまう。芸術や写真を分析して理解したような顔をすることに、私はあまり意味を感じない。「わかったきにはなれるけど」きっとそれは真実からは遠い。私の好きな写真家のヘレンレヴィットは「もしも私が自分の写真について語ることができるのなら、私はきっと物書きになっているでしょう。」といってる。

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