2018年6月24日日曜日

 

 少し前は不眠症みたいに、頭が眠ることに抵抗してしまっていたのに、今は地球の中心に吸い込まれるような深い眠りつくようになった。私の身体は一体何を求めているの。。

安心して眠れるようになったのは「ことば」との関係が私が求めていた関係になってきたからかもしれない。自分が優秀であると証明するための言葉に対する嫌悪が私をいろんなことから遠ざけていたと思う。感心がわかない。しっぽがゆれない。わかるのは「そちらにだけは走りたくない」ということ。

本を読むときに感じる抵抗も同じ種類のものだと思う。本の中の世界を理解できることが優秀である証、みたいな教育制度に違和感を感じていたから。私は本を読まずに世界を見つめて考えてばかりいた。すると人は「なまけもの」と思うみたい。でも本の中に書かれていることは世界のことなのに?自分の半径1メートルのことに感心をもつのはなまけものの証なの?

「そんなの、でたらめでしょ」と今なら思える。私の半径1メートル内に溢れていた言葉が私を少しずつ変えていったから。大嫌いだった世界を好きになったのも、半径1メートルの中にある世界を好きになったからだから。「大衆」も「歴史」も世界を俯瞰でみたときにあらわれるもので、実際にあるのは、一人の人間の物語。その一人一人が世界に放つ言葉がその周囲にいる人々の世界観を変えていく。

 本は個人の言葉を大衆に届けるためのツールにすぎない。価値があるけど、本に乗らない言葉はたくさんある。私はそういう言葉が好き。ふっと吐き出されて、一瞬だけ世界にあらわれて、あとかたもなく消えていく言葉。いさぎよくてかっこいい。ウルフの言葉を飲みこんでみる。「エイヤー博打だ!どうにでもなれ!」と。中に入っているのは毒か薬か、飲んでみるまでわからないようなそういうスリルが、読書にはある。

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