2018年6月14日木曜日

  今日はお店は静か。時間もゆっくりと流れている気がする。でも、このお店にいると退屈な気持ちにならない。喫茶店で働いている時はよく、信じられないほど退屈な気持ちになったのに。退屈な気持ちで世界を見つめて「こんな現実の中に詩の断片を見つけるなんて、不可能」ってよく思った。

 一緒に働く女の人たちのことは好きだったけど、彼女たちの言葉を食べたあとはいつ失意に近い気持ちを感じたのを覚えてる。本当の意味では言葉が通じていないような、そういう感覚だった。本当は通じてないのに、言葉の意味だけがわかるから、なんとなくわかりあえてる気がしてしまう。だけど、そういう言葉の交換のあとに感じるのは孤独だけ。

 ここのお店の人たちに私の言葉は通じていると思う。私が投げる適当な言葉の意味を分解したりせずに、私が見たもの、知ったことを嬉しくなって報告しているだけだということを目を見てすぐにわかってくれる。「知ってた?自転車ってね、どこでもいけるんだよ。どこにでも行けてね、しかもお金もかからないの。まるでいきなり歩幅が大きくなったみたい。巨人になったみたい。」

 言葉には意味があるだけじゃない、言葉には波もある。私の言葉の波をキャッチしてくれる人はそのおかしな波動に反応して笑ってくれる。ナンセンスをナンセンスでかえてしてもらえると嬉しくなって鼻歌を歌う。

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