2018年6月11日月曜日

 誰もがルールの話をしてる。誰がルールを破ったのか、それを血眼になって探してる。
それを数多くを見つけた人が優秀であると思い込んでるみたい。誰かを非難することで得られる快楽を手放せないでいるだけなのに、その感情にを「正義」という名前をつけてもっともらしく正当化しようとする。

  私たちの無意識の中には数多くの神話が刷り込まれている。ニーチェは神は死んだといったけど、私は神は姿をかえて私たちの生活の中に潜んでいるだけだと思う。死んでなどいない。根強く生き残っていて、私たちの耳もとでおしゃべりを続けてる。
 
 私が「神」と呼ぶものは、私たちが妄信してしまう言葉のこと。私はその神話の一つ一つを丁寧にピンセットで抜き取って「それって本当?」と聞きたがる。「あなたはそういうけれど、それって本当なの?」の続きは大抵「そんなこと考えてもしかたないだろう。」いいえ、そんなことない、それが本当かどうか考えることはとても大切なこと。

 自分を良い人間だと思いたい欲望は誰にでもある自然な感情だとは思う。だけど、「正義」を語り他がる人の目は濁っていることが多い。濁った目で世界を見つめているのに、自分を正しいと信じ込む力が強すぎる。自分を正しいと信じ込む力、それが多くの人を盲目にする。朝からドライヤーをかけながらそんなことを考える。脳は土のようなおので、よく耕せば水は浸透しやすくなる。種をまき、水を与える、収穫の時期がくるまでは、じっとする方がいい。

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