2018年5月29日火曜日

 彫刻家に渡したカメラのフォーカスがあわないというので、彼女の家に行ってきた。なんどもあっているのに、行く道で私は相変わらず楽しみにしていて、それがバカバカしくて笑えてくる。
 
私たちは目の前にある現実のことを話すのが好きなので、情報ソースを変えるだけで出てくる名前が変わってくる。最近私たちがよく使う言葉はジョン・ロックの「タブララサ」
ロックとバークリーは批判の対象としてよく出てくる。ヘーゲルは「もう何いってるか全然わかんないよね」で片付ける。論理の基盤にある確信、みたいなものを私たちはまったく理解していないのだと思う。

だけど、私たちが直感でふちどっていた世界は実は科学に関係していたから、直感で物事を語っても、論理で語るのと同じ帰結にいたることもある。今フェミニストを嫌いな批評家の話を聞いてみたけど、彼は論破することに躍起になっていて、話を全く聞いていないように思えた。フェミニストを男嫌いの怒った人たちだという印象を持ったようだけれど、男嫌いになるのにも、きちんとした過程がある。

そのプロセスを無視して、自分を理性的だと勘違いしてデータを使って論破しようとする。だけど本当に感情的なのは、彼のような人間。自分が正しいと思いたいがために、あらかじめ「無視すること」を設定しているように見える。
それは男性がよくとる戦略で、私は日常生活でその戦略の多さに驚きながらひっそりと
「無視された」ということは「それはもっと大声で言わなくてはいけないこと」と思うようにしている。

 Ignore me all you want, because i know why you choose not to listen, because you know you will never understand it. And it is that feeling that feeling of incompetence you fear the most.  But please do not blame me for your own incompetence.  There is no game that is too fair. And I always wish to play it fair.


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