2018年4月16日月曜日

昨日は、「眠ること」だけを課題にして、世界史の本を読みながらベッドの中に横たわっていた。世界の「流れ」を把握しようとすると、すーーっと意識が遠のき眠りに入ることができることがわかった。寝付くまで4時間はかかってしまったけれど、それでも久しぶりに眠ることができたことがとても嬉しい。

 姉から送られてきた「アラキ」に関する記事を読み直して、改めて自分の感じていることを整理する。登坂アナウンサーが、自身のセクハラ問題に言及するときにテレビで「新しい番組を作ろうとしているときに、自分のことでその番組をけがしてしまい、申し訳なく思った」という。

 でも本当の問題はそういうことではない。女性はいつでも性的価値という尺度で図られることに耐えないといけない。それを社会は当然のように強要してくる。その価格が低かったとしても高かったとしても、それは受け入れないといけないものらしい。

「他のことに集中したいのにこのような不祥事で仕事が進まない」ことが問題なのではなく、バッシングされるようなことをしたことが問題なのでもなく、あるうかつな行動の根底にある「意識」にしかりと焦点をあてる必要があるのだと思う。

 写真家アラキは著書にしっかりと「男尊女卑」を教えたと書いてくれている。間違ったことを教える教師がいたら、私は「間違ってますよ」と言い続ける生徒が必要だと思う。
。たとえ、才能がある相手であっても、間違っていることに間違っているという勇気は必要。
 
 私はアラキよりもヘレンレヴィットが好き。ヘレンレヴィットの写真の美しさに、アラキは圧倒的に負けていると思う。でもそのことをいってもきっとそれは好みの問題に片付けられる。好みの問題ではありません、尺度の問題。何を大切に生きるか、それは写真に当然のようにあらわれてしまう。ヘレンレヴィットが大切にしていたことが、あなたにわかるなら、あなたはきっとあのような写真は取らないと私は思う。


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