2018年3月27日火曜日

 勉強を復活。アメリカ独立革命について少し読む。言葉の浸透率があがっているのがわかる。時々止まって思考をすると、同じ言葉に触れていても感覚が変わるのがよくわかる。アメリカという国が形成されていく経緯を見つめるのはとても面白い。
 
 紺色のシーツをベッドから引き剝がし、洗濯機で洗う。玄米と白米を1:2の割合で炊飯器に入れて、炊く。油揚げと大根の煮物を作る。フェミニズムについての自分でつくった講義を聞く。

 言葉は現実世界を整理するために使われている。その時に耳を傾けやすいのは「論理的な」言葉。理路整然としていると人々は納得してくれるらしい。整理整頓がよくできた部屋を見て人々が関心し、混沌の中を生きる人を軽蔑するのと同じこと。だけど論理的な言葉を聞いていると、「ずいぶん無理やり世界を論理の中に閉じ込めるのね」なんて思う。

 「みつめないことに決めたこと」が、その人の視点を少しずつ変えていく。無視することに決めたことが、その人の目を変えていく。だから私は目をじっと見つめる。言葉だけの美しさには騙されないようにしている。

 論理的思考は世界を歪める力を持っている気がする。人間の限界を見つめるのではなく、人間の優秀さをたたえるような視点。自らが限界のある生き物だということから目をそらすために、世界を歪めて理解できるものだと信じ込もうとする愚かさを、多くの「知的」な人たちから感じる。
 なんて考えていたら睡魔が襲ってきた。

 

0 件のコメント:

コメントを投稿