2018年3月27日火曜日

天気は晴れ。桜の花がさき、アパートを出ると外はいつのまにか春の世界。コートを着ていると少し暑く感じる。カメラを持って歩いていたら、お店の常連さんが道の向こう側から歩いてきた。ヘッドフォンを外して挨拶をする。「こんにちは」「家こっちのほうなんだ?最近見ないけど、やめたの?」「いえ、代わりに女の子に入ってもらったんです。少しだけ。」

お店で起きていることが、休みの間はすごく遠くの出来事に感じ始める。

新宿西口にある電化製品やさんで骨電導の耳をふさがないイアフォンを買う。色をトルコブルーにしたのは、その方がなくしにくいような気がしたから。

高円寺の図書館に本を返すために中央線に乗る。電車の中で、私の前にいる女の子を見つめる。短く刈り上げた黒髪、口には太いピアスが刺さっていて、耳の軟骨の部分にも輪っかのピアスがいくつもつけてある。耳たぶの中央に大きな透明の筒のような形のピアスが通っていて、その周辺は赤く化膿していた。イアフォンを入れて、音楽を聞きながら少しだけ首をゆらしている。手にもっているスマホの待ち受け画面はリアーナだった。

 自分が何を好きかよくわかっていそうな、この感じ。個性的に見えるのに、私にはとても不自由そうにうつる。個性的な人を見ていると、時々なぜか不自由な気持ちになる。自分自身をことこまかに定義している感じ。私はもっと曖昧に自分を定義しているから、怒られてしまうんじゃないかと思うのかもしれない。

 そういえば、動画でリリーフランキーと宮沢りえの対談を見ているときも歯がゆい気持ちになった。自分自身を価値に昇華したい衝動からくる言葉が並べられている感じ。宮沢りえは「制裁」を恐れながら言葉を並べていて、リリーフランキーはしっかりと心の中で、宮沢りえの言葉の価値を値踏みしている感じがした。口から出た言葉を値踏みされる感覚はよくわかる。私はそれがとても嫌い。高い値段をつけられても、低い値段をつけられても、不快な気持ちになる。「あなたに価値を決めていただく必要はありません」と。

 高円寺駅を降りて、昼食を適当に食べて、図書館に向かう。二階に行くと少し広い開放的なスペースに大きな机が何台から並んでいる。そこで読書をしていたら物語の中に久しぶりに入ることができた気がする。読書は家の外でする方がいいのかもしれない。




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